幸せになる為には、自覚的に生きている人をより多く知るという事が重要になってきます。

このシリーズでは、そのような自覚的に生きている人たちをご紹介します。


今は、教科的に英語とか数学が重要視されていますよね。

ところが橋本さんは「国語はすべての教科の基本であり、学ぶ力の背骨なんです」と言います。

受験勉強というのは観察力や判断力、推理力、総合力など様々な能力を要しますが、国語というのはその土台になるものです。

学問に深く踏み込んで、理解したいテーマの真髄に迫るには、あらゆる事を言語化しなければなりません。

国語は、あらゆる学問の基本的なツールなのです。

よく子供に幼少期のうちから英語をやらせる人がいますが、まだ日本語を十分に習得しないうちに外国語を学ばせるのは、子供の学力向上という面では不利だという説もあります。

一流の人というのは、一見寡黙に見える人でもほぼ間違いなく皆が「おしゃべり」だと言います。
スポーツやアートの世界ですら、そうなのです。

何かを成し遂げようとしたら、よく考え、人とコミュニケーションを取り、まずは言語によって表現が出来るという事が必須のようです。

戦後教育の「改革」を免れた生徒たち

今回ご紹介するのは、それまで“公立校のすべり止め”と見られていた灘校を、全国屈指の進学校にまで導いたといわれる伝説の先生、橋本武(はしもと・たけし)さんです。

橋本さんといえば、中学校で行っていた“教科書を使わずに『銀の匙』という小説を3年間かけて読み上げる”という国語の授業が有名です。

なんだか これだけ聞くと、とても難しい受験に成功するというイメージは湧きませんよね。

ところが橋本さんのエピソードを聞けば聞くほど、本当の学力とは記憶一辺倒の詰め込み教育とは程遠いものなのだという事を思い知らされます。

橋本さんが、そんな型破りな授業をするに至ったのには、いくつかの理由があります。

まずは当時の灘校の革新的なシステムです。

灘校では中学・高校の6年間を一人の教師が担当し、その教育方法は完全自由裁量、生徒の学力は担当教師が全面的に担うというものでした。

それに加えて、橋本さんが灘校に赴任した当時というのは、まだ終戦後の混乱期にありました。

GHQの指示による規制で、国語の教科書の3分の2が黒く塗りつぶされたそうです。

逆に言うと、他の学校ではその教科書で授業が行われていたということになりますが・・・。

橋本さんは、こんなもので授業は出来ないと思い、『銀の匙』をただ一つの国語の教科書にしようと決断します。

教科書に夢中!?

教科書を『銀の匙』一冊に絞り込んだとはいえ、もちろんその本をただ読む訳ではありません。

橋本さんは、生徒にノートを取らせる事すらしませんでした。

その代わりに、毎回手作りの解説プリントを作って生徒たちに配ったのです。

わたしが子供の頃 学校で貰ったプリントといえば、どこかからコピペした半分字が潰れたような、読みにくくてつまらないものが思い浮かびますが、勿論そんなものではありません。

レイアウトも先生自身が書いたイラストも美しくて、相当 完成度の高いものだったようです。

『銀の匙』自体は、中学生にとっては地味で取っ付きにくい内容だったようですが、先生のプリントが魅力的だったので生徒達はたちまち小説の世界にハマって行きました。

そして小説に登場する小さな事柄まで いちいち立ち止まっては追求し、時にはちょっとした追体験までやってみます。

時には脱線して、話題が中国の兵法やアラビアンナイトにまで飛んでしまう事もあります。

でも、なにせカリキュラムらしきものといえば、3年間で小説一冊きりです。
慌てる必要は無いわけです。

先生が先頭に立って寄り道したり脱線するのですから、生徒は退屈する暇もありませんよね。

それどころか好奇心の幅をどこまでも広げて行けるようになり、能動的な姿勢が身に付いていくのです。

詰め込まなくても「受かる」理由

普段わたしたちは、小さな気づきや引っ掛かりがあっても「別にどうでもいいや」と次々に捨ててしまいますよね。

ところが橋本さんの授業では、いちいち引っ掛かるし、ちょっとした事にも興味を持ちます。

でも本来 好奇心というのは、そういうものなのかも知れませんね。

ちょっとした事にも疑問を持ち、それがキッカケで興味が芽生え、理解できるまで調査して、思わずアウトプットする・・・この学習の一連の「流れ」を実践させる事で、生徒たちは学ぶ楽しさを発見していくようです。

橋本さんは生徒に対して、分からない事は自分で調査させるし、本の見出しを考えさせたりします。

調査してもわからない時は、著者に手紙を送らせるという結構な無茶振りもしています。

教えるのは”答”では無く、答に行く着くまでの“道筋”だけです。

すると子供たちは学習する楽しさに目覚め、能動的になり、分からない事があっても立ちすくむ事なく、根気よく取り組んでいく「学習への体力」が身に付いて行きます。

結果として受験が“楽勝”になるのだそうです。

『銀の匙』を選んだ理由

橋本さんの教え子だった人が、後にインタビューで語っていた事が印象的でした。

『銀の匙』という小説は、子供の頃の記憶をたどるような内容なのだそうです。

そして橋本さんの授業の仕上げには、生徒は自分自身の『銀の匙』、つまり自分の幼少期の回想を随筆にするという課題が出されます。

生徒たちは自分自身の回想録を書く事で、『銀の匙』の作者と自分との“違い”を改めて実感するそうです。

他人を理解し、自分を知り、互いに認め合える人間を作り上げていく・・・。
最後に生徒たちは、先生のそんな深いメッセージを受け取り、なぜ教科書に『銀の匙』を選んだのかを知るのです。

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