幸せになる為には、自覚的に生きている人をより多く知るという事が重要になってきます。

このシリーズでは、そのような自覚的に生きている人たちをご紹介します。


私が小名木さんの話を聞いて一番ショックを受けたのは、日本は世界一古い国だという事を今まで知らなかったという事です。

日本が統一国家になったのは明治維新以降だと、漠然と思っていました。

天皇の系統のどこまでが神話で、どこからが史実かという線引は未だ解明されていないし、天皇の元にまとまった日本という概念が西洋の“国家”と一致するのかどうかは分かりません。

でも、少なくとも相当早い時期に高度な文明が起こっていた事が分かってきているそうです。

どうやら、日本の考古学というものは海外ほど重視されていないし、日本を研究しようという海外の考古学者もいないようです。

経営者マインドを持った国史研究家

今回ご紹介するのは、国史研究家の小名木善行(おなぎ・ぜんこう)さんです。

元々は経営者だったそうですが、リタイア後でしょうか?「ねずさんのひとりごと」という日本史関連のブログを始めたところ これがブレイクし、今では講演をしたり百人一首の解説本を出したりしています。

小名木さんは学者畑の人ではないので、一般論とは全く違う日本の歴史や古書の解釈をしています。

経営者の嗅覚というものなのでしょうか、情報を鵜呑みにせず常に疑問から入るし、権威に踊らされずに自分の頭で考えます。
その考察がまたユニークで、説得力に満ちているのです。

古墳はお墓じゃなかった!?

ここで、小名木さんの説で一番感動したエピソードをご紹介したいと思います。

時代は仁徳天皇の世で、いわゆる“古墳”がたくさん作られ始めた頃の話です。
ところが小名木さんいわく「古墳はお墓が目的の建造物ではなかった」というのです。

ちょっと、えっ!と思いますよね・・・。
そんな事、疑ってみた事もありませんでした。

まず疑問1として、古墳の周りは平地であるという特徴です。

そして疑問2、この時代は大開拓時代で、田畑の整備や灌漑が発達した頃でした。

古墳の周りの平地は今でこそ殆どが住宅地ですが、当時は水田だったと思われます。
つまり、農地にする為に人工的に平地にされたわけです。

元々は丘や山だったのを切り崩した後には何が残るか?というと、大量の残土が発生しますよね。

ところが、昔はダンプカーなどありません。
ではその大量の残土をどうしたのかというと、“盛り土”にしたと考えられます。

それが古墳の元というわけです。

盛り土は、土砂崩れしないように丁寧に固める工事が行われ、更に民家に被害が及ばないようにお堀を張り巡らせたのです。

そして古墳は、その後だんだん作られなくなっていきいます。

その古墳建設ラッシュの終わりは、実は水路の完成とリンクします。

それ以降は水路を使って、残土を船で運べるようになったため、田んぼの真ん中に盛り土をする必要が無くなったというわけです。

今までの解釈は、時の絶対権力者が権威を誇示するために奴隷を働かせて墓を作らせた、といったものでした。

でもこれは西洋的な価値観で見た“決めつけ”であって、実は科学的な根拠は無いようです。

ちょっとウィキを見てみたら、日本の古墳というのは天皇陵とされている事から立ち入りが厳しく制限されていて、学術団体の調査要求ですら宮内庁が拒否しているそうです。

小名木さんの主張が絶対とは言いませんが、古墳という解釈も別に根拠がある訳では無いし、どうも辻褄が合わない所があります。

例えば大阪の有名な古墳に祀られているという仁徳天皇は、人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいて3年間租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかったという優しい天皇でした。

おまけに田畑の開拓をはじめ、公共事業をバンバン推し進めて国を豊かにした天皇だったのです。

そういう人柄の持ち主が、強制労働をさせてまで権威を誇示するというのはおかしな話です。

民が感謝の意を込めて、整備された盛り土の上に仁徳天皇のお墓を祀ったというのが真相ではないか?というのが小名木さんの見解です。

歴史を軽く見ていたかもしれない・・・

私が小名木さんの話に惹かれた理由は、日本ではどうも歴史認識という話題になるとすぐにヒステリックになったり、過剰反応してしまう風潮に疑問を抱いていたせいです。

歴史の教育も、国際基準の観点からすると、ちょっとおかしな点があります。
“近代史”がガッツリ抜けているんですよね。

でも、アメリカの昔の公文書が公開されるようになったり、インターネットのお陰でメディアというフィルターを通さない情報に触れる機会が増えた事で、なぜ日本人が近代史を学べないのかがだんだん分かってきました。

第二次大戦に敗北した後、日本は占領軍に統治されましたが、その時の政策として「一気に強行な手段に出ると大変な抵抗に遭う事が予想されるため、長い歳月をかけてジワジワ骨抜きにする」という計画が立てられたそうです。

そこで目を付けられたのが、教育とメディアでした。

悲しい事に、この100年計画は順当に功を奏しているようです。
日本の歴史教育はすっかり歪められ、日本人は自信と誇りを失いつつあります。

日本の歴史観バトルももう少し科学的に解明していかなければ、当分決着が付かないのかもしれませんね。

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