幸せになる為には、自覚的に生きている人をより多く知るという事が重要になってきます。
このシリーズでは、そのような自覚的に生きている人たちをご紹介します。
本当の悩みって、身近な人には相談できない事も多いと思います。
日本にはカウンセリングの習慣はないので、悩み相談の受け皿になっているのは専ら「占い」ですよね。
でも「占いは、ちょっと・・・」という拒否感を覚える人も多いかもしれません。
では行き場のない悩める人は、どこへ行けば良いのでしょうか。
一部の恵まれた人たちを除いて、宗教的な組織もなく地域のコミュニティも持たない都会の住人は、商業的なマーケティングに取り込まれ、まるでお金崇拝のようになっているような気がします。
そんな中、仏教思想も最近では見直されつつあるようです。
でも、なかなかお坊さんに相談しに行く人って少ないと思います。
お寺の人生相談を垣間見る
今回ご紹介するのは、お坊さんの大愚元勝(たいぐ・げんしょう)さんです。
大愚さんは、Youtubeで「一問一答」という膨大な量の“人生相談”動画を配信しています。
ずっとお寺で一対一の面談をしていた経験を元に、手紙の相談に対してのお説教(というよりはアドヴァイス)を公開するという内容です。
大愚さんのお説教の特徴は、かなり具体的なアドヴァイスをくれる所です。
普通お坊さんの話はというと、精神論であったり抽象的な話で、自分の場合に置き換えるのが大変な気がします。
でも私達が求めているのは、もっと具体的なノウハウだったり、自分仕様にカスタマイズされたアドヴァイスですよね。
現在の苦しみから逃れるには、今度どうすればいいのか?という「行動の変化」を可能にするヒントが欲しいわけです。
単なる意識改革で、本当に自分が変えられるなら苦労はしませんよね。
大愚さんはそこがよく分かっていて、決して抽象論に走ったり、逆に“おまじない”のような対処法に逃げたりはしません。
とても優しく相談者に寄り添い、共感し、だからこそ最終的には相談者にとって けっこう厳しい結論に至ります。
共感して聞き手に徹するだけなら、ただのカウンセラーですよね。
でも、今のままではダメだった事は、もう分かっている訳です。
相談者はほぼ間違いなく、みんな変わりたいと思っている筈です。
実業の才覚に長けた「お坊さん」
大愚さんは、お寺の家に育った人ですが「ただのお坊さん」ではありません。
世俗を離れてお寺で座禅を組んだり、お経を唱えていただけでは無いのです。
いったんは実社会に出て、ビジネスを立ち上げたりしています。
というか「お坊さんにだけは、なりたくなかった」そうです。
家業というのは、裏事情を知っているから嫌になるのかもしれませんね。
大愚さんは、今では自分で立上げたビジネスで役員報酬を得ている、金持ち父さん流に言うと「ヤング・リタイヤ」状態のようです。
本当はなりたくなかったお坊さんですが、使命感に導かれるようにお寺に舞い戻って来たそうです。
よく二代目は別の世界で修行を積んでから家業を継ぐという話を聞きますが、大愚さんの場合も実社会での経験が今の活動を支えているような気がします。
ビジネスを成功させて、ユーチューバーとしても成功しているお坊さんなんて、他にいないのではないでしょうか。
動画「一問一答」の人気に火がついたのも、そのアドヴァイスの内容が実用レベルの水準だという事があると思います。
それは大愚さんがお寺を飛び出して、実世界で揉まれてきた実績があるからです。
でも本来お坊さんというのは、彼のような人であるべきなのではないでしょうか。
誰よりも勉強していて、誰よりも経験を積んでいるから、俗世の悩みの相談にも乗れるわけで、浮世離れした人に的確なアドヴァイスなど出来ない気がします。
普通の人が理解できないような難しい言葉を使ったり、一方的に高い所から裁定を下すのではなく、相手に受け入れやすいように説くというコミュニケーションの力も必要だと思います。
大愚さんは、相談者の置かれている立場を理解し共感する事を忘れません。
そして徐々に悩みの原因に迫り、同じような悩みを持ちながら それを乗り越えていった先人たちの話などを、その幅広いストックの中から紹介してくれたりします。
「一問一答」は、特定の相談者に対して行われる あくまでも個別的なものです。
動画の数は膨大ですが、自分と全く同じ悩みを持った相談者を見つける事は難しいかもしれません。
でも、人間の悩みというのは突き詰めていくと根っ子の方ではどこかで繋がっているのか、不思議と自分と同じ種類の悩みでなくても、毎回 心に刺さるものがあります。
そして、お説教を聞いてその場は分かったような気になっても、しばらくしたらまた元の自分に戻っていたりします。
それだけ「悟り」を得るのは、人間にとってハードな事のようです。
本物の師匠
時間の経過と解釈の歪みによって、いろいろな尾ひれがついてしまっているのは否めませんが、「本物」は現代にも十分通用するものだと大愚さんは言います。
どうすれば本物に出会う事ができるのか?というのが問題だと思いますが、大愚さんは“本物の師匠”を見つけるか、ブッダが実際に語った事とされる「原典」を読む事を勧めています。
というのは、仏教に関する本のほとんどは「解釈本」の類なのだそうです。
そして“本物の師匠”というのは、何もお坊さんである必要はなく「本当に悟っている人」という意味かもしれません。
大愚さんの言う原典とは、日本語に翻訳されているものでは この1冊だけです。
翻訳の方も評判が良いようです。
かなり取っ付きにくいとは思いますが、こういうものに取り組むのも一つの精神修行かもしれません。