二人がたり
今回は、馬渕大使のひとり語りではなく、このシリーズでは珍しい対談形式でした。
対談相手の篠原氏の経歴が20年間も共産党員で幹部まで上り詰めた方だというのが興味深い。
馬渕大使は右、篠原氏が元左という不思議な組み合わせで、このご両人が今の共産党に対して意見を交わしてくれていました。
仏性と智慧と慈悲とは?
大愚和尚は優しい・・・私だったら「トラウマだと思っている記憶は、現在、不足感を感じている自分が作った幻なんですよ」なんて言ってしまいそうだし、「今のパフォーマンスが実力なんですよ」とか厳しい事を言ってしまうだろう。
大愚和尚は相談者のそういう矛盾には一切触れずに、『仏性、智慧、慈悲』について説明して下さっていた。
が、妻には難しかったらしく、ちょっとついて行けなくなったと言い始めたので、私なりにさらに噛み砕いて説明してみた。
恐らく、乱暴に拡大解釈し過ぎているかもしれないが、妻は納得したらしいので、ここでもシェアしたい。
その際、下でMB氏の動画も参考に見てもらったので、そちらを先に見て頂いた方が理解しやすいと思う。
仏性とは、自分の感性で、それは対象や個人の特性によって異なるが、イメージ、聴覚、身体感覚で感じたサムシングを言語化すると感想というものになる。
智慧は、『自分の専門技術の熟練度に対する正確な認識』・・・だと思う。何かを突き詰めて研究すると、単なる情報(インフォメーション)を集めるだけでなく、そこに分類や分析が加わり、ある知見(インテリジェンス)に達する。
それが専門知識・専門技術というもので、それはそれで素晴らしい事だけど、そこへの『至らなさ加減を知っている』というのも智慧である・・・と思う。例えば、悟りの価値を十分に理解して欲しているが、『未だそこには至っていない』という事を知っている・・・これも智慧だ。
慈悲とは、平たくいうと社会への関わり方であり、得た智慧を大衆にわかりやすくシェアするという事で、時にはダークサイドのツールであるマーケティングも利用される。
個性と社会の交差点
前半は、登録者数という一般的に重視されている数字に振り回されないで、本質に目を向けようね・・・みたいな話で、
後半は、「『”個性”と”社会”の交差点』の中に答えがある」という名言を頂きました。
私は常々、『大事なことが3つあります!』って、一見、数が少なそうだけど、人間にとって3つは十分に大きな数だよって主張している。いずれに詳しく説明するかも、、だけど、
私は、MB氏が使った『個性』を大愚和尚がおっしゃっている『仏性』と『智慧』をまとめた概念だと理解した。
そして『社会』の接点を持とうする活動を『慈悲』だと理解した。
慈悲も時にはダークサイドのパワーを利用する
ブッダかずひさ氏も、ブッダの教えを広めるためには、ダークサイド側の武器であるマーケティングという手法もあえて利用するおっしゃっていた。
なぜマーケティングがダークサイド側の武器なのかと言うと、一言で言えば、『他人の行動をコントロールしよう』としている技術だからだ。
人聞きの悪い技術だけど、時に目をつむって崖に向かって人々に有効な手になりうる。
ちょっと一息
やっぱりコイツが気になる。子猫の時は、普通だなあ・・・