幸せになる為には、自覚的に生きている人をより多く知るという事が重要になってきます。
このシリーズでは、そのような自覚的に生きている人たちをご紹介します。
仏教の修行というのは全て、実は「左脳」の機能を停止させる目的にあると言っても過言では無い気がします。
その昔、ブッダは人間の不幸の元凶が”いわゆる左脳の働き”にある事を経験的に発見しましたが、それが現代の科学によって裏付けられつつあるのかもしれません。
とはいえ、現実の社会で生きていく上で、左脳だって必要ですよね。
世の中で「スキル」と呼ばれているものは、左脳が大きく関わっている事が多いと思います。
では、どうすれば幸せになれるのでしょうか?
「生死の境」で見た究極の幸せ
今回ご紹介するのは、脳科学者のジル・ボルト・テイラーさんです。
といっても、今回の話は彼女の脳科学者としての“業績”についてではありません。
彼女が体験した事と、その当事者が脳科学者であったという稀な偶然が引き起こした“とんでもない発見”についての話です。
事の始まりは、ある日とつぜん彼女を襲った脳卒中の発作です。
幸い意識は残っていたので、彼女は自分で緊急措置をしようとします。
ところが、意識はあるのに「何も出来ない」のです。
彼女に一体、何が起こったのでしょう。
脳卒中に襲われたテイラーさんは、意識は残ってはいたものの、思ったように動く事もしゃべる事も出来ません・・・。
普通なら、恐怖と不安でパニックになってしまう事でしょう。
ところが、驚いたのは最初の瞬間だけでした。
彼女の追想によると、その瞬間というのは、まるでテレビの電源を落とした時のようなものだったと言います。
まずは突然、完全な静寂が訪れました。
そして自分と周囲のもの、つまり壁や空気、この世のありとあらゆるものと、自分との境界線がわからなくなったそうです。
全てのエネルギーと一体になり、自分が大きく広がっていくような感覚になりました。
そしてテイラーさんは“それは素晴らしいものだった”と語っているのです。
なんと全てのストレスが消え、体が軽くなり、この世に生まれてから一度も解放された事のない感情の重荷が無くなり、平安で満ち足りた気分になったのです。
彼女は、この感覚を「ラ ラ ランド(陶酔の世界)」と表現しています。
すごく不思議な話ですよね・・・。
ところが、話はここで終わりではありません。
脳科学者であるテイラーさんとしては、自分に何が起こったのかを究明せずにはいられませんでした。
脳卒中の発作の最中に起こっていた事
テイラーさんはその後、奇跡の生還を遂げ、8年間に及ぶリハビリを経て復活に至りました。
でも彼女は、自分に起こった事は大切なメッセージだと捉えました。
それは脳卒中を起こし、助けを求めようと電話をするまでの4時間の間に体験した感覚の中に、人が幸せに生きる為の“鍵”を発見したからです。
脳科学者であるテイラーさんの分析によると、それは「右脳」の働きによるものでした。
というよりは、左脳の機能が停止してしまった為に、右脳だけが稼働するという状態になったのです。
彼女が脳卒中を起こしたのは左脳側でした。
左の脳の血管が破裂して大出血を起こしたのです。
脳科学者であるテイラーさんの解説によると、左脳の機能には まず詳細な事柄をピックアップする力があります。
たとえば具体的な事を認識したり、記憶するのに必要なんですね。
そして、それらの情報を分類したり整理したりして「系統的に」捉える力です。
更には、過去に記憶してきた情報を、未来と結びつけて将来への可能性に投影する力です。
そして左脳の特徴は「言語」を使って情報を処理する事です。
テイラーさんが脳卒中を起こした時というのは、これらの機能が失われていたのです。
逆に右脳の機能はというと、言語ではなく映像や自分の身体感覚から情報収集をします。
情報は一つ一つではなく、感覚的なものとして一気に取り込まれます。
左脳と比べると「感覚的」なのが特徴です。
ふだん人は右脳と左脳の両方を使って生きているので、左脳だけとか右脳だけの世界を知りません。
テイラーさんは、右脳だけの世界「ラ・ラ・ランド」を実際に体験し、生還した貴重な生き証人と言えます。
彼女は右脳の世界を、こんな風に語っています。
自分に関わる全ての人たち、あらゆることへの感謝の気持ちでいっぱい。
常に満ち足りていて、慈悲深く、楽天的。
善悪の判断は無い。
過去も未来も無く、現在の瞬間の豊かさしか認識できない。
これが「ラ・ラ・ランド」です。
何かこれ、どこかで聞いた事ありませんか?
まさしく仏教でいう“悟りの境地”です。
仏教でいう“悟りの境地”というのは、この「ラ・ラ・ランド」の状態と全く同じ事が言われています。
となると、人間を不幸にしているのは「左脳」だという事になりますが・・・。
ヨガや瞑想に代わるもの
ヨガとか瞑想をする人も一部にはいるようですが、ほとんどの人にとって座禅(瞑想)、念仏、出家!?どれもピンと来ないというのが正直なところではないでしょうか。
もしくはハードルが高いと感じて、結局は長続きしないという人もいるかもしれません。
確かに2千年もの太古と今とでは社会環境があまりにも違うので、いくら真理は普遍のものとは言え、今ではマッチしなくなっている部分もあると思います。
そこで、仏教の修行を現代社会に適応させる、ひとつの提案をご紹介します。
それは日記です。
日記というと“回顧録”でも書く事かと思われそうですが、それとはニュアンスが違うのです。
もっと自由に、今まさに自分の心に浮かんで来る事を刻々と綴るだけのラフな記録です。
ただ、それが どんなに小さな事であっても、言語化するのが難しい微妙な感覚であっても、がんばって言語で表現しようという試みです。
ただ一つ気をつけて欲しいのは、どこかで聞いたような話や「あるべき論」のようなものは一切排除するという事です。
ありのままに、そして克明に言語化する事を目指すのです。
ところが、日記であろうと聞き手のない独り言であろうと、それは「言語化」されたものです。
自分の頭の中だけでモヤモヤしていた、漠然としたイメージとは違ったものなのです。
どんな感情も、言語化する事で客観性が生まれます。
つまり、自分の中では現在進行形だと思っていた事が、もう過去に過ぎ去った事であり、未来に起こるかどうかもわからない事だという事に、否応なく気付くのです。
すなわち、今を生きる“ラ・ラ・ランド”に近づける事になります。
これが現代流に、左脳もバリバリ使いながら幸せに生きられる術だと思います。
いまはスマホがあるので、漢字が書けなくても字が下手でも、メールやSNSで文字を入力するのは楽勝ですよね。
逆にブッダの生きた時代は、紙など庶民には手に入りませんし、識字率も極端に低かった事でしょう。
有り難い教えの“コア”を掴み、精神修行の方法は時代に適したツールを使うのが、自分の人生を豊かにする秘訣だと思います。