一般的に弱点を克服して成功したり、弱点をカバーして成功する話って、色々と聞く機会もあるものですが、この記事では、弱点を利用して幸せになった例をいくつかご紹介したいと思います。
勇気がもらえるエピソードばかりだと思いますので、是非、ご一読下さい。
目次
セントポーリアお婆さん
50年くらい前に米国のある村で実際にあった、ちょっと不思議な心暖まる話をご紹介します。
あるお婆さんが、一人で暮らしていました。
子供達が成長し結婚して出て行った後、ご主人を亡くしから、ずっと一人暮らしです。
若い頃から友人らしい友人もいなかったので、家に引きこもったまま、誰とも付き合わず、遂にうつ病のような状態になってしまいました。
母を心配した娘さんが、ある精神科医に往診を依頼します。
その精神科医がお婆さんの家を訪問して、すぐ目に止まったのが部屋中に置かれた、おびただしい数のセントポーリアの鉢植えでした。
そのお婆さんは、無気力で無関心な様子だったのですが、精神科医がセントポーリアについて質問すると、その時だけは活気を取り戻すようでした。
どうやらセントポーリアにしか関心を示さない状態です。
その様子を見た精神科医が、お婆さんにある助言をします。
「この近くの教会で結婚式を挙げたカップルに、あなたのセントポーリアの鉢植えをプレゼントしてあげなさい」と。
どうやら、お婆さんは花を育てる事に興味があるだけで、育てた花を手放す事には抵抗がなかったようです。
精神科医に言われたとおり、結婚式を挙げたカップルに、セントポーリアをプレゼントするようになりました。
そのうち、花をもらった花嫁の中には『自分もこんな綺麗な花を育てたい』と思う人も出てきました。
ところが、このセントポーリアという花は、花の中でも育てる事が難しいらしく、困った人が、お婆さんに助言を求めて訪れるようになったのです。
そして、そんな事を何年も続けて行くうちに、いつしかお婆さんの家は、セントポーリアを栽培する人達で賑わうようになり、お婆さんは人との繋がりを取り戻して行ったのです。
お婆さんが亡くなったとき、お葬式は沢山の葬列者で埋め尽くされました。
いつの間にか、このお婆さんは、この地方で『セントポーリアお婆さん』という名で親しまれる存在になっていたのです。
花の栽培を通して多くの友人ができ、孤独とは無縁の生涯を送りました。
手の震えが止まらなくなった企業家
ある50歳近い中年男が、精神を患いました。
それまで手掛けていた事業が失敗し、全てを失い、すっかり自信を失ったのが原因でした。
心配した息子に連れられて、ある精神科医の元を訪れます。
その時の中年男は、正気を失い、まともに言葉を発する事も出来ず、突然大声で意味不明な事を喚き散らすといった具合でした。
出来る事と言ったら、常に両手を上下に震わせている事くらいで、ほとんど痙攣(けいれん)しているような状態でした。
その中年男をカウンセリングしていた精神科医は、『この痙攣を障害としてではなく、生産的な事に利用出来ないものだろうか?』と考えました。
ものは試しと、両手が上下に動いてしまう動きに、木工ヤスリを握らせました。
細かい動作は出来ないものの、木材にヤスリをかけるくらいは出来そうです。
その時、精神を患って正気を失ったかのように思われた中年男が、少し反応しました。
いつしか、その中年男は、木工ヤスリをノコギリに変えて、木材を切ったり、切った木材にヤスリかけるようになります。
遂には、ちょっとした木製のチェス盤を作ってしまいました。
さらに驚いた事に、その中年男は、そのチェス盤の販売を始めました。
一時は、正気を失ったかのように見えたその中年男は、すっかり自信を取り戻し、元の事業家へと復帰したのでした。
点描画家
震えと言えば、もう一人有名な人がいるのでご紹介します。
アーティストの『フィル・ハンセン』さんです。
彼はアーティストになる夢を抱き、美術学校へ通いながら点描画を学んでいました。
点描画というのは、小さな点を重ねていき、色を作り出すという画法で、かなり緻密な作業が要求されるようです。
ところが、それまで精妙に小さな点を打ち続けていた事が原因なのか、手が震えて止まらなくなるという症状に見舞われます。
点を正確に打とうと、力を入れれば入れるほど、震えが大きくなるという症状で、ハンセンさんは、それから数年、諦めずにいろいろと手を尽くすのですが、どうにもなりませんでした。
やはり綺麗な『点』が描けないというのは、点描画家としては致命的だったのです。
点描画家としての人生を諦めざる負えなくなった彼は絶望しましたが、どうしてもアーティストへの夢が諦めきれませんでした。
そこへ、主治医に「”震え”とうまく付き合っては?」と提案されて、それがきっかけとなり、覚醒することとなります。
震える手で描く、グニャグニャの線を利用して、新しい画法を編み出したのです。
その後のハンセンさんは、グニャグニャの線画法にとどまらず、次々にユニークなアイデアで作品を作り出し、アーティストとして成功しました。
点描画家としての時よりも、一層大きな存在に成長できたのです。
すきっ歯の女性
ある20代後半の女性が、それまで一度も男性と付き合った事がなく、『とても自分には結婚なんて無理……』と絶望していました。
原因は、自分の容姿にまったく自信が持てず、酷いコンプレックスを抱えていたからです。
彼女は自分の顔のどこもかしこも嫌いでしたが、とりわけ気に入らない所が歯並びの悪さでした。
すきっ歯が酷く、その為、なるべく人前では笑わないようにしていました。
そのせいで、周りの人達から、暗い人物だと思われていたのです。
職場に気になる男性がいましたが、彼と仲良くなる事など夢のまた夢で、その時の彼女にとってまったく想像も出来ない事でした。
そんなある日、知人の紹介で、嫌々ながら、あるカウンセリングを受ける事になりました。
彼女は、その精神科医の助言のとんでもない内容に驚きます。
「まずあなたは、デパートに行って、化粧の仕方を教えてもらいなさい。
次に職場の水飲み場に行った時に、もしその彼が現れたら、水を口に含み、あなたのその『すきっ歯』から水を吹き出して、水鉄砲のように彼の顔に思いっきりかけてあげなさい。
次にあなたは、大急ぎでその場から離れて、自分の席に戻りなさい。
え?出来ない?彼に嫌われる?さっき、あなたは、彼のことなんて完全に諦めていると言ったじゃありませんか?
本当に諦めているなら、それくらい出来るはずでしょう?何か失うものがありますか?」
彼女は、精神科医の助言に驚き、呆れつつも、『確かに、その通りだ。自分には何も失うものなどないのだ』と思い直し、なんと、その助言通りに完璧に実行してしまったのです。
すると、どうでしょう?奇跡が起こったのです。
顔に思っきり水をかけられた彼が、大笑いしながら追いかけて来ました。
遂には仲良くなり、しばらくの交際期間を経た後、結婚する事になったのでした。
その精神科医が、弟子から「あんな結果になるという確信があったのですか?」と聞かれたところ、「確信なんてなかったよ。でも、普通にやっていてダメなら、あれくらいやらないと運命なんて変わらないものさ。人生って私達が考えている以上にミステリアスなものだし、それに男ってミステリアスな存在が気になるものだろ?」と笑いながら答えたそうです。
内気なホステスさん
これは、ある大物社長が、人生相談を受けてアドバイスしたときのエピソードです。
ある女性が、ひどく内気で自信がなく、仕事も続かず引きこもりがちになのに、親がどうしても働きに行けと煩いので困っている、という相談でした。
その女性は、特に勉強が出来るわけでもなく、とてもおとなしい性格で、仕事に対して自信が持てない日々を送っていました。
ただ、話を聞いていくうちに、器量は良い方だという事がわかったので、「ホステスさんになってみては?」という助言をされました。
ところが、その女性は、一度、薦められて、やってみた事がありましたが、話が上手くできず、動作も機敏に出来なかったので、その店をクビになってしまったのだそうです。
その話を聞いた後、その大物社長の次の助言が、「さすが!」というか驚かされました。
「それなら、もっと高級な店に行けば良い」と言うのです。
庶民的な店は、客単価が安いので、大勢のお客を相手にしなければならず、結果的に量をさばく接客技術が求められると言うのです。
一方で高級店では、お金持ちしか来ないので、一人のお客さんに対してゆったりとした接客になります。
内気で話し下手だけど、落ち着いて自分の話を聞いてくれる女性に接客して欲しい、と願う幾人かの男性に気に入ってもらえれば、自信も付くというのです。
更には、高級店に来れるくらいのお金持ちだけど、あまりモテない優しい男性と結婚出来れば、それはそれで幸せになれるのだと。
私達は、何かにチャレンジして駄目だったら、ついついハードルを下げてしまう傾向があります。
でも、必ずしも、そうする必要がないのだ、と気分が明るくなるような話です。
失読症(ディスレクシア)
失読症とは、米国に多い学習障害の一種で、文字の読み書き学習が困難な識字障害です。
本1ページ読むのに30分くらいかかると言われるくらいの障害なのですが、意外にも成功者と呼ばれる人達の中に、この障害を持つ人が多い事で知られています。
例えば、名門投資銀行ゴールドマン・サックスの社長兼COOのゲーリー・コーン氏は、7歳で失読症(ディスレクシア)と診断され、その後の人生でも相当苦労したようです。
でも、彼は障害の克服よりも、他の能力を伸ばす方へエネルギーを傾けました。
本人が言うには、「識字障害のお陰で、失敗に対処する能力がとても高くなり、物事の明るい面をよく見るようになった」そうです。
以下、有名な人を何人かご紹介します。
【役者】トム・クルーズ、マーロン ブランド、ハリソン ・ フォード、ダスティン ・ ホフマン、シルベスター・スタローン、リブ・タイラー
【映画監督】スティーヴン・スピルバーグ
【ヘビー級ボクサー】モハメド・アリ
【物理学者】アルベルト・アインシュタイン
【ミュージシャン】ジョン・レノン
【創業者】スティーブ・ジョブズ、ウォルト・ディズニー
【音楽家】ベートーヴェン、モーツァルト
【発明家】トーマス・エジソン、マイケル・ファラデー
【芸術家】レオナルド・ダ・ヴィンチ、パブロ・ピカソ、オーギュスト・ロダン
【大統領】ジョン・F・ケネディ
そうそうたる顔ぶれですね。
ここまでくると、ハンデか才能かわからなくなってしまいそうです。
ポストイット
これは人の例ではありませんが、ヒット商品の例で有名な話です。
ポストイット(付箋紙)は、偶然から生まれました。
3M社の研究者だったスペンサー・シルバー氏が、強力な接着剤を生み出すための開発中に、失敗作として、逆に非常に弱い接着剤ができてしまいました。
ただ彼は、これがただの失敗作だと思う事ができませんでした。
「これは何か有効に使えるに違いない!」という直感が働いていたため、懸命に売り込みをしていたそうです。
しかし残念な事に、この弱い接着剤に価値を見いだせる人は見つからなかったため、何年もの間、日の目を見る事がありませんでした。
同じ3M社の研究員だったフライ氏も、その一人だったのですが、その弱い接着剤の存在だけは記憶に引っかかっていました。
そんなある日、教会の聖歌隊のメンバーであったフライが、歌集に挟んでいたしおりが何度も床に落ちてイライラしていた時、遂にそのヒラメキが訪れたのです。
『あの弱い接着剤を使えばいい!』
フライ氏がシルバーの発明を知ってから、実に5年の年月が経っていました。
接着剤として致命的な欠陥であったはずの弱い接着力が、機能として利用されている好例です。
サーカスの団員
かつてサーカスには、身体に障害がある人達がピエロとして活躍していました。
その状態を見て、最近流行りのアドラー心理学を創始したアドラーは、一つの悟りを得たそうです。
小野田少尉
小野田さんは、終戦後29年間、フィリピンのルバング島でゲリラ戦をしていた人です。
その後、遂に帰国して平和ボケしていた日本人達を驚かせました。
この人の話で、途中まで二人でゲリラ戦をしていて、遂に戦友の一人が亡くなってしまった時の話が印象的です。
あるレポーターから「戦友が死んでしまった時、どう思いましたか?もう諦めようとは思いませんでしたか?」と聞かれ時、
「むしろ、敵を取ってやると燃えました。
二人から一人になってしまったけど、二人だったからこそ出来なかった戦術もあるはずだ、一人だからこそ敢行できる作戦があるはずだ、二人が一人になったからといって、戦力まで半分になったわけではないと思い、すぐさま一人だからこそ出来るゲリラ戦の作戦を考え始めました」と答え、周囲を驚かせました。
その時のマスコミの反応は『戦友が死んだというのに、何と薄情で愚かな……』というものでした。
でも、『二人から一人になったけど、戦力が半分になったわけではない』という発想には驚いてしまいます。
『一人でなければ出来ない作戦もあるはずだ』という考えは、何かどんな欠点があっても、『その欠点がなければ出来ない事があるはずだ』と励まされる気がします。
まとめ
適切なエピソードばかりではなかったかもしれませんが、ひとつ、弱点をカバーするのではなく、利用して強く生きて行くためのメタファーとして捉えて下さると助かります。