あなたが、何か達成したい夢、目標があったとして、そこに挑戦するとき、
必ず何かしらの課題が生まれます。
そして、その課題を解決しようとする場合に、必ず障害というものが現れます。
そもそも、そのような障害がなかったら、夢として認識すらできないでしょう。
そして、その障害はある一定の勉強や忍耐をすることで克服出来るものかもしれません。
もしかしたら2,3年以上かかるような事もあると思います。
そこで考えなければいけないのは、その障害は本当に克服しなければいけないものなのか?ということです。
この記事では、障害についての扱い方について書いてみたいと思います。
「やる気」を枯れさせないために
障害にブチ当たる事で初めて、あらゆる抜け道や横道が色々と見えてきます。
そして、むしろ壁を克服できた時よりも賢い選択をしていたり、素晴らしいアイデアが生まれたりするものなのです。
だから「壁にぶち当たったらお終い」では無く、そこからが本当の勝負です。
逆に壁を克服する事に夢中になり過ぎると、そもそもどこへ行きたかったのか?という事すら忘れてしまう危険があります。
一生で使えるメンタルのエネルギー量は有限かもしれないのです。
あまりにも酷使し過ぎると、本当にやりたい事を成し遂げる前に枯渇するという恐ろしい結果を招く事も、十分あり得るのです。
そうならない為にも「今のままの自分でも出来る方法はないか?」とか「今の自分でも出来そうな所まで落とし込めないか?」など、問題の細分化をする必要があります。
だいたい壁にぶち当たる時というのは、既存の概念や慣習に囚われている事がほとんどだからです。
ググってみて良い方法が見つからないときは、自分なりの方法論を編み出さなければ、横道や抜け道は見つかりません。
もしくは、そのものズバリの解答が見つからなくても「近いもの」や「応用できそうな事」をいちど抽象化してとらえ、自分の方面で具現化するという方法もあると思います。
障害を克服しない事で見えてくるもの
案外アイデアというのは、何もない所からは生み出しにくいものです。
障害というのは、実は人間が発想をする上で欠かせないものだと思います。
自分が思い描く世界と障害の間にある違和感のようなものは、道を切り開くための原動力なのです。
何かをやろうとして壁にブチ当たったら、その時は「ここを通らずに目的地に行くにはどうすれば良いか?」というクイズと思ってみてください。
他に目的地へ通じる道がないかを探すのです。
迷路のように、壁にぶつかる度に他の道を探していきます。
そして気がつけば、自分だけの道が出来上がっていくのです。
障害は宝!?
障害は本当に克服しなければならないか?という疑問に対して、ちょっとユニークな意見を持つ人がいます。
それは、障害を原動力としてアイデアを生み出している建築家です。
建築というのは、必ず予算や敷地などの「制約」が存在しますよね。
普通ならば制約というのは、クリエイターにとって自由を阻むマイナスなものとして捉えられがちなものです。
ところが、建築家の隈研吾さんはそうではありません。
隈さんは「制約」を逆手にとる事で、独創的な建物を生み出しています。
例えば、建築物が建つその場にしか成立しないディテールや素材を使ったりして、景色との調和を図る事を大切にしているそうです。
あえて制約を克服しない事で、極度な自己主張を抑えたり、周りの景観を壊す事なく環境に溶け込んだり、ユニークなデザインが生まれるのです。
隈さんはインタビューで「もし制約が無かったら、探しに行きますよ」と冗談のように言っていました。