慈悲の瞑想とは
スリランカに伝わった原始仏教の中に『慈悲の瞑想』というのがあります。
元々は、最も古い経典だと言われているスッタニパータの一節にある内容です。
かの国では結婚式で僧侶が唱える経の中に含まれています。
その内容をスマナサーラ長老がシンプルにまとめてくれています。
『わたしは、幸せでありますように』
『わたしの親しい人たちが、幸せでありますように』
『生けとし生ける全ての生命が、幸せでありますように』
と唱え続けるというものです。
口に出さずに心の中で唱えても良い。
そもそも慈悲とは
そもそも “慈悲” とは、どういう意味なのでしょうか?
一般的にはザックリいうと『愛』と同義語で使われているようです。
しかし、この『愛』・・・
仏教的には『愛着→執着』につながるので、
手放した方が良い概念とされています。
仏教的には『慈悲』は『慈』と『悲』に分けられます。
まず『慈』の意味は、ザックリと “友情” と言い換えて良いと思います。
次に『悲』・・・
もちろん “悲しい” とか “哀れみ” という意味ではありません。
これは、一言で言えば、”共感” です。
『慈悲の瞑想』の文句をもう一度確認します。
『わたしは、幸せでありますように』
『わたしの親しい人たちが、幸せでありますように』
『生けとし生ける全ての生命が、幸せでありますように』
要するに、自分と他人を大きく差別しないということです。
世の中には、大きく分けて『自己愛が強い人』と
『自己犠牲感が強い人』の二種類います。
正確には、同じ人が刻々と変化するでしょう。
夫に対しては、”自己愛” が強く出る女性でも、
我が子に対しては “自己犠牲感” が強く出る人もいるでしょう。
趣味に対しては “自己犠牲感” を発揮して、
推しのアイドルに大枚をはたく男性が、
仕事になると “自己愛” が強く出て、
チームワークを乱す、なんてこともあるかもしれません。
どちらも、あまりよろしくない。
だから『自己愛が強い人』は、その感情を他者にも向ける。
逆に『自己犠牲の気持ちが強い人』は、
『みんなのため』の “みんな” の中には
自分も含まれていることを確認します。
これが『慈悲の心』です。
瞑想が上手く行っているかどうかのテスト
『慈悲の瞑想』は、ただ唱えるだけで、
実際のところ、自分の心がクリーンになって来ているのかどうか
怪しいものだと思う人がいるかもしれません。
大丈夫!ちゃんと、この瞑想には、
あるテストが用意されているのです。
まず、上の文句を唱え続けている時に、
自分の心と体の中で起きている感覚を覚えておきます。
次に、以下の内容を唱えてみて自分の心と体の感覚を観察します。
『わたしが嫌いな人たちも、幸せでありますように』
『わたしを嫌っている人たちも、幸せでありますように』
どうでしょうか?
この感覚と最初に唱えた感覚とを比べてみて、
違いがなければ、瞑想が”上手く”行っている
ということなのです。
つまり、心が清浄されて、成長して来ている
という証拠になるのです。
ちなみに私は、これにさらに2つ付け加えています。
『わたしが関心がない人たちも、幸せでありますように』
『わたしに対して無関心な人たちも、幸せでありますように』
上手く行っていると、不思議と、最初の3つを唱えている以上に
体がフッと軽くなるのを感じます。
嫌いな人はムリ
どうですか?
このテスト、なかなか俊逸だと思うのです。
『わたしは、幸せでありますように』
『わたしの親しい人たちが、幸せでありますように』
『生けとし生ける全ての生命が、幸せでありますように』
とは素直に唱えられたとしても・・・
(これも難しいという人も沢山いるので、
心配しないで下さい。要は慣れです^^)
さすがに『嫌いな人はムリ』という人は少なからずいるでしょう。
「どうしても許せない!」
そういう人がいない人は、すでに “幸せ者” でしょうから、
そもそも瞑想など不要でしょう。
そこで、私が実践しているコツを教えましょう。
それは「今、この瞑想している瞬間だけは許す!
でも、あとでキッチリ借りは返させてもらう!」
と思って、瞑想中だけは、許すことです^^
瞑想中だけでも、”許す” と、
体の筋肉がゆるむのが実感できます。
とりあえずは、それで良いではないですか。
慈悲の瞑想の目的とは?
この『嫌い人も許す』ということ関連して、
わたし達がゴッチャにしやすい概念があります。
『自分の価値観とまったく正反対な人』の存在です。
こういう人を嫌いになってしまうケースも多々あると思います。
でも、実は、この『自分の価値観とまったく正反対な人』こそ、
私たちの生活を直接、豊かにしてくれる存在なのです。
と、言ったら驚きますか?
精神論だと思いますか?
いえいえ、このことはかなり具体的に説明ができます。
ヤフオクをご存知ですよね?
あれって、自分にとっては不用品の処分です。
実のところ、中にはお金を払ってでも、
引き取って欲しい物もあります。
でも、実際に出品してみると、
「よく、入札してくれたなあ!・・・」
と驚くことが結構あります。
まだ出品されたことがない人は
是非やってみることをオススメします。
実際に落札された時に、
自分の心の中にあったブロックが解消されることがあります。
もう一つの例として、
FX、株、不動産などを取引することを考えてみて下さい。
あなたが買おうとして、実際に売買が成立したとき、
それを売っている人が実在しています。
同じ世界、似たような情報を見ている中で、
必ず、あなたと異なるポジションを取る人がいてくれるおかげで、
売買が成立するのです。
どちらが正しいのか?そんなことは誰にもわかりません。
ただ、同じものを見て、上がるか、下がるかの判断が
真逆になっているということです。
『慈悲の瞑想』は、決して、気分がラクになるから・・・
みたいな曖昧なものではなく、
本当に、リアルに、意味のある感覚なのです。