ここ十年ほど、ゆとり教育が散々批判されていますね。

30代くらいの若者が、仕事が出来ない時に周りから言われる差別用語にすらなっています。

本来ゆとり教育とは、詰め込み型教育から脱皮し、自分の頭で考える人間をつくるというのがお題目でしたよね。

ところが実際は、現場の教師たちに、その制度を上手に使える人はいませんでした。
教師自身が、自分の頭で考える教育を受けて来なかったのだから、当たり前の結果かもしれません。

有能な先生の授業をシェアする時代

ところが YouTube の普及で、有能な先生の授業を、好きな時間に視聴できるようになりました。

YouTube の特徴は、自分の学習ペースで、習得するまで何度でも見られる事です。
好きな時に停止して、考えたり出来る事が本当に可能になったのです。

今までの学校では「ちょっとそこが気になるから、授業をいったん止めてください」と言うことも出来ませんし、「昨日の授業をまだ覚えていないので、今日はもう一回同じ授業をお願いします」なんて言えませんよね。

明らかに、下手な学校の先生の授業を受けるより学びやすい環境です。

今までの学校の授業形式が、時代遅れになったと言わざるを得ません。

「授業を自宅で受ける事が可能になった今、本当に学校に行く意味などあるのか?」

今、様々な分野の人が、このように唱えて来ています。

今後の学校の役割

学校の役割は本当に終わったのでしょうか?

確かに学校の役割が、あるカリキュラムに沿って、先生が旧態然とした授業という形で行うモノと定義すれば、そうでしょう。

でも、ここで学校の役割についていくつか提案があります。

一つは中間テストと期末テストです。

これは あくまでも、生徒それぞれに任せて学習させた内容の習得度を確認するためのテストです。
今まで行われて来たような『成績によって序列をつける』考え方とは全く違うものです。

そして例えば、中間テストで及第点に達さなかった生徒には、学校の先生が自ら YouTube などで検索して、各生徒ごとに「あなたはこの動画を見て下さい」という指導するのです。

その先生が教えた方が習得させられるという自信があるなら、自ら授業してもかまいませんが、それならその先生も是非、自分の授業を録画して YouTube にシェアして頂きたいものです。

そうでないなら、先生は適切な動画のソムリエになって、推薦できる動画をピックアップすることに集中した方が良いと思います。

企画力を育てる方法

ここまでは、知識の習得の話です。

教育改革の目的である「自分の頭で考える力」を育てるには、知識の習得だけでなく、トライ・アンド・エラーを重ねるのが効果的です。

それには企画を提案して実行し、分析をするという「実践の場」が必要になってきますよね。

実は、ここにこそ学校の役割があると思います。

例えば文化祭や体育祭などの行事です。

今は季節ごとのイベントとして、年に数回あるだけですよね。
こういう行事を、もっと頻繁にやるのです。

それも、完全に生徒主導でやらせます。

「俺たち、どうしたら楽しめるだろう?」という風に、生徒同士の相談で企画の立案をします。

そして、その企画の開催や運営も生徒自身で行います。

行事が終わったら、こんどは反省会をします。

そこで行事を楽しめなかったという生徒がいたら、その生徒から意見を聞いて、原因を探る相談をするのです。

まだモデル探し?

学校は生徒主導で年中行事をやるだけの場だなんて話をすると、ただの突飛なアイデアだと思われるかもしれませんね。

でも既に日本は、欧米に追いつけ追い越せの時代は終わりました。

真似するだけで解決できるような教育法は、もう世界中探しても見つからない可能性が高くなりました。

今度は日本が教育改革を牽引するくらいの気概を持って「自分の頭で考える教育」を作って行くべきなのではないでしょうか。

学生時代のイベントでは、まずは自分達をターゲットにして楽しませる企画出して、学年が上がる毎に少しづつ地域貢献できる事を目指せば良いのではないでしょうか?

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