世の中には
生まれつき悟っている人がいます。

日常の些細なことに気づける観察眼と
言語化する能力があり、
それを積み上げて行ける人です。

そういう人は生きて行くのがどんどんラクになるので、
仏教的な悟りに対して興味を持つことはないでしょう。

実は悟っている人は、意外と近くにいたりします。

私の場合、身近に2人います。

感覚的には200人に1人くらいの割合でいるように思います。

そういう人は大企業で普通にサラリーマンをやっていたりします。
そしてガツガツしていない。

転職なんてこれっぽっちも考えたことがありません。

理由は、時流に乗って、
実力以上の会社に採用されているので、
転職しても今より待遇が良くなることなどない
と本気で思っているからです。

社内でも普通の存在で、

上司から特に目をかけられるわけでもなく、
かと言って見捨てられることもなく、

同僚からは馬鹿にされても、
いじめられることはなく、

後輩からは特別に慕われることもないけど、
馬鹿にされることはなく、

何となく結婚して、適度に浮気もして、
特に罪悪感を感じることもなく、

お金がかかる趣味もなく、
いま任されている仕事を何とかやり遂げることに集中していて、
将来に野望を持つこともなく、

特別に美味しい物を食べたいとも思わず、
適度なアルコールで満足して、
テレビを見て面白がっても中毒になることはなく、

夜は毎日、決まった時間に眠くなり、
朝も決まった時間に起きて、
眠いけど、そういうものだと思い、

自分語りしたい気持ちが起こらず、
気がついたら人の話に相槌をうち、

口下手ながら、たまに本質を突く一言を放ち、
そんなことを言ったことも忘れ、

特別な覚醒体験もなく、
ほんの少しの煩悩を残し、

自分の分をわきまえて高望みしないから
愚痴も言わないし他人の悪口も言わない・・・

あなたの身の回りにもそういう人がいるかもしれません。

そういう人が適度に解脱して、
悟った人です。

「悟っているなら有名になっているはずだ」
と思う人がいるかもしれませんね。

釈迦とかイエスとか・・・
彼らは悟りを開いた(オープンにした)から有名になりましたが、
世の中には悟っているけど、
わざわざオープンにしない人もたくさんいます。

彼らはそれをやることに興味がありません。

苦労して悟ったわけではなく、
何となくそういう素質と環境で悟って来ているので、
その状態をただの自分の個性だと思っているからです。

そういう天然で悟っている人は、
自分の人生に降りかかった課題は、
難なく解決しますが、

他人の問題の解決法については、
ほとんどわかりませんし、
口を出して来ることもありません。

理由は彼らの性格が冷たいわけではなく、
「自分ならこうするけど、この人には出来ないだろうな・・・」
と理解しているからです。

だから相談を求められても
「わからない・・・」
と残念そうに言うだけです。

でも特にそのことを気に病むこともなく、
すぐに自分の課題に戻って行きます。

さきほど、自分の人生に降りかかった問題は、
難なく解決すると言いましたが、
彼らは、決して特別な能力を持っているわけではありません。

「こりゃ自分には無理だ」
とわかったら、
さっさと適切な人を見つけて、
お願いしてしまいます。

彼らは頭を下げることも、なんとも思わないし、
特別に恩を感じることもありません。

普段から自分もやってあげていることだからです。

本当に悟っている人は、あなたがいつも
『こいつは凡人。だらしがない。助けてやるか』
『今度は利用させてもらうか』
と思っているような人です。

彼らは特に瞑想も必要ないようです。

チャンスがあれば
彼らが何気なく
ボーっと外の景色でも眺めているところ見て下さい。

まるで鹿が大自然を見ているような眼差しで、
本当に何も考えていないのを発見するでしょう。

でもそういう生まれつき悟っている人にも
弱点があります。

それは老いて体力が無くなって来たときに
徐々にその力が失われて行くからです。

どういうわけか生まれつき悟っている人の悟りは
体力と深い関係があるようなのです。


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