最近、タモリさんがまだ若い頃にスピーチした動画を見る機会があり、意外にも人生哲学のような話でした。
職場の部門間でよく起こる対立関係を彷彿とさせる内容で、なぜかお陰で気分が楽になりました。
『どうして他部門の人達を低く見たりしなければならないのか?』
という理由がわかるような話だったからかもしれません。
“人をやたらと見下そうとするような人” と対峙しなければならなくなった時、この記事の内容が理解できていたら少し気分がラクになるかもしれないと思ったのでシェアしたいと思います。
自由は不快である
いきなりですが、話は「人間というのは本質的には自由なのです!」という所から始まります。
一般的に “自由” は良いものとされていますが、本当は人は “完全に自由な状態” というのは逆に不快なんだそうです。
それは、全てを自分で決定しなければならないし、何になっても良い、何をやっても良いという制限のない状態です。
そして自由は否応なしに、全ての責任を自分で負わなければなりません。
実はこれが人間にとってはとても負担なのです。
だから人は、自分の自由を誰かに預けたがる性質があるそうです。
自由を他人に預ける
実際には、どのように預けるのか?
例えば自分を何かの「属性」に当てはめたりします。『自分は日本人だ』とか、『女性だ』とか、『社会人 or 学生』というようにです。
確かに、人は自分を何かのカテゴリーに規定して生きていますよね。
属性を持ったり、組織などに所属すれば、何でもかんでも自分で決定する必要はなくなります。
「常識」や「規定」が、判断や選択を決定してくれる機会が増えるからです。
そして、このカテゴリーは多いほど安心感や安定感が増すんだそうです。
確かに、何も拠り所を持たない風来坊というのは一見気楽そうですが、実際なってみたら しんどいかもしれません。
ところが、この「自分の規定」が上手く出来ない人がいます。
拠り所がなくて自信が持てない人
世の中には、自分を色々な属性に当てはめようとしても、自分の属性やカテゴリーに自信が持てない人がいます。
この人達がどうやって不安から逃れるのかというと、自分より劣ったカテゴリーを見つけて、優越感を作り出す事で安心を得ようとします。
自分は「このカテゴリーではない」という否定によって、自分のポジションを肯定するのです。
この「自分より劣ったカテゴリーの人間」という所が、今回のテーマの部門間の対立と同じだと思いました。
自分のカテゴリーに自信が持てない人というのは、常に不安な状態にあります。
だから安心する為に「自分とは違う!」と認定したカテゴリーの人達を見下さなければならないのです。
そしてこのような人は逆に、会社というちょっと大きめの属性へ帰属意識が薄いようです。部門や個人という小さな単位の帰属意識しか持っていないので、人を見下す事で自己肯定をしている訳です。
まとめ
誰でも社内や職場での部門間の敵対関係に巻き込まれたり、全体への貢献に協力的でない人を触れる機会があると思います。
営業は総務を下に見るとか、技術は営業を下に見るとか、部門間での対立というのは良くある話です。
また、こちらが必死でお願いしても、偉そうな態度で最低限の事しか協力せず、同じ会社に所属する仲間だという意識が無い人です。
この記事では、やたら人を見下してくる人がいて気分が悪くなった時に、そのような人達がどのような心理状態になっているのかシェアしました。
否定的感情で足場を固める手法で思いつくものとして、他にも「敵の敵は味方」などもありますね。
人間って、心の安定を得る為に色々と工夫しているんだな、と感心してしまいます。
だから おかしな態度を取られても、こちらは別に気にしなくても良いのだと思います。
ちょっと仕事はしにくいかもしれませんが・・・。
コツとしては、向こうの敵対心に身構えることなく、なるべく自尊心を傷つけないように振る舞えば、普通に協力を得る事も可能だと思います。