幸せになる為には、自覚的に生きている人をより多く知るという事が重要になってきます。
このシリーズでは、そのような自覚的に生きている人たちをご紹介します。
日本人にとっての宗教って、自分は無宗教だと思っていたり、あっても家は代々仏教だったらしいとかいう程度の、曖昧であまり重要ではない扱いだったりする人が多いと思います。
今まで、こういう大切な事を深く考えずに来てしまった過去は取り返せませんが、これからはもっと自分のルーツを探って行きたいと思う今日この頃です。
日本人にとって宗教って何?
クリスマスを祝い、結婚式には教会で式を挙げ、お葬式は仏教式、お正月は神社にお参りする節操のない日本人というのは、よく聴く自虐節ですよね。
こういう現象は、日本人の信仰心が無かったり、薄いという事の現れなのでしょうか?
私も昔はそうだと思っていました。
世界的に見ても、こういう国は珍しいようですね。
ところで自分の宗教を考えるとき、何を基準にしますか?
だいたいお墓とかお仏壇とかが思い浮かぶのではないでしょうか。
ということは、日本人の大半は仏教徒という事なのでしょうか?
どうも、それはしっくり行きません。
例えば、古代のギリシャやローマは“多神教”でしたよね。
アポロンとかゼウスとか、神様が一人じゃない宗教です。
日本も、それに近いものかな?と思ったりした事もあります。
でも、ギリシャ神話みたいなものとも違う気がするのです。
では無宗教とか無神論者なのかと言われると、どうもそうでは無いと思います。
歴史を語り継ぐ人々
このモヤモヤした疑問に、ヒントを与えてくれたのが竹田恒泰(たけだ・つねやす)さんです。
竹田恒泰さんというと、まず旧皇族の血筋であるという事が気になります。
こういう人がテレビに出たり、一般人向けに本を書いたり公演して回るという事自体 珍しいと思うのですが、とりわけ“天皇”についての話を積極的に説いているというのはちょっと衝撃です。
こういった家系の人々というのは、様々な口伝や慣習によって、日本の重要な伝統を守り抜いて来た人たちだと思います。
政治的な思惑や外国の干渉によって、歴史認識や教育界は常に揺れ動いていますが、そういったものに影響される事なく、脈々と語り継がれてきたものがあるのではないか?という事が最近気になるようになりました。
とことん遡ると何処へ行き着くか?
竹田さんの話の中でも一番印象に残ったのは”古事記”についての話です。
古事記というと、イザナギとイザナミとか、因幡の白うさぎとか、ギリシャ神話のようなフィクションを思い浮かべますよね。
と言っても、それも詳しく知っている訳でもありません。
考えてみれば、自国の建国神話を知らないというのも、おかしな話なのです。
学校の授業でも習った覚えがありません。
もしかすると、サラっとやったのかもしれませんが、記憶にも無いし、そもそもあまり日常的な話題に登る事はありませんよね。
これも世界的に見たら珍しいようです。
どうやら、日本人は自分の国のルーツにも疎いらしいです。
そう思うと、何だか古事記を読みたくなってきました。
ところが これが難解で、色々と解釈が難しいようなのです。
竹田さんは、日本人に自国のルーツをもっと良く知る機会を広めたいと思い立ち、現代語訳で解説付きの古事記を出版しています。
更に、その古事記の本をホテルの客室に置いてもらうというプロジェクトをやっているそうです。
確かに・・・。
ホテルの客室に置いてある「聖書」、あれ すごく不思議でした。
あれが古事記だったら、ちょっと楽しいような気がします。
これが なかなか好評らしく、持ち帰ってしまう人もいて、主催者としては複雑な気分のようです・・・。
日本にも信仰はある
イスラム教などから見たら形式や戒律などは緩いし、キリスト教のような教義はありませんが、日本にも宗教はあるような気がします。
日本の社会には、心の底深くに伝統的な「何か」が引き継がれているという事を、最近では感じるようになってきました。
それは日本人の価値観に現れていると思います。
お墓の前で手を合わせたり、お正月には家族で集まって新年のお祝いをしたりしますよね。
ご飯を食べる前に「頂きます」というのは、食材となった命への感謝を表わしているそうです。
もっと言うと、国際水準で見たときに圧倒的に治安が良いとか、庶民レベルのモラルが高い事で定評があるというのも無関係ではない気がします。
何より、日本人であるという事の同胞意識が高いというのが特徴ではないでしょうか。
それは民族とか国家というスローガン的な分かりやすいものではなく「日本らしさ」という、どこか漠然としたものです。