幸せになる為には、自覚的に生きている人をより多く知るという事が重要になってきます。
このシリーズでは、そのような自覚的に生きている人たちをご紹介します。
何かあやかろうと思って優秀な人達の動画を見て来ましたが、
聞いているだけだと面白い話でも、実際にこれからの時代にどう応用すれば良いんだろう?という疑問が残ります。
さらに自分ごとに落とし込むのはもっと大変です。
広告界から教育畑へ
今回ご紹介する藤原和博(ふじはら・かずひろ)さんは、あのリクルートの全盛期に営業部門で活躍した人で、その後は年俸契約の客員社員というのになっていましたが、そこから「公教育」という全く違う分野への転身を遂げた人です。
私は子供の頃、ずっと学校と社会には「妙な隔たり」があると感じていました。
そして、まるで世間から隔離されたような「学校」という空間から、急に社会へ放り出されてしまう事に漠然と恐怖を抱いていたような気がします。
だから、こういうバリバリのビジネスマンが教育界に飛び込んだら、どんなふうに風穴を空けてくれるのか?という事は非常に興味深いものがあります。
1998年に起こった「革命」とは?
藤原さんは、20世紀を“成長社会”、そして21世紀を“成熟社会”という風に分けて考えています。
そして、その2つの時代を分けたターニングポイントとは何だったかというと、1998年の「グーグルの誕生」です。
ここから時代の方向が変わり、AI時代が始まっているというわけです。
最近よくAIの発達で仕事が無くなるという煽り系の論調がありますが、無くなる仕事があれば、その一方で生まれる仕事もあるのだから「AI時代の働き方にシフトすれば良い」のだと藤原さんは言います。
今までは左、これからは右
AI時代に必要な能力というのを考えるとき、まず能力は“左の能力”“と“右の能力”の2つがあると言います。
まず左が「情報処理能力」で、主に計算や記憶をする力です。
そして右は「情報編集能力」と呼んでいますが、こちらは思考、判断、表現などのいわゆる答がないような領域の力です。
藤原流に”子供でもわかる表現”で言えば、左は「パズル」、右は「レゴ」という感じです。
パズルは、はめる位置も完成図も最初から決まっていますが、レゴはブロックをつなぎ合わせて何を作っても良いものですよね。
そして、AI時代に必要な能力というのは、もちろん「右」の能力です。
左の能力がなくては右の能力も育まれないわけですが、あくまでも大切なのは右の能力で、左はそもそも基礎として必要なだけなんです。
スペシャリストはもう古い?
AI時代に求められる能力とは、思考したり、判断・表現できる事であって、付加価値を与える事が出来ない人は、本当に仕事が無くなってしまうのかもしれません。
ところが今学校で行われている教育は、相変わらず左の能力を鍛える為の学習ばかりですよね。
これでは、学校への違和感や将来への不安があるのは当たり前かもしれません。
そして、仮に学生時代にベースとなる「情報編集能力」を身に付ける事が出来たとしても、社会に出たら更に「競争に勝つ」という事も考えなければなりませんよね。
藤原さんは社会人になるにあたって「希少な存在になれ」という事を主張しています。
第一歩として、まずは100人のうちの一人になる事を目指すのです。
この“1/100の存在”というのは、いわゆる「プロ」という概念です。
統計的に言えば、その仕事に1万時間 従事すれば到達できます。
1万時間はお勤めの期間でいうと5年から10年くらいなので、20代で就職した場合は30代くらいで何かしらのプロになれる計算になります。
そして1/100の存在になれたら、今度は別の部門に「転向」する事を推奨しています。
例えば営業を10年勤めたら今度は経理をやるとか、エンジニアだったら管理をやってみるなど、別の仕事をするのです。
そこでも10年勤めたら、今度はさらにその部門で“1/100の存在”になる事が出来ますよね。
営業+経理とか、エンジニア+管理が同時に出来る人材というのは、1つの分野のプロよりも希少な存在になります。
これを さっきの数字で表現すると、1/100✕1/100=1/10,000で1万分の1という競争力を持つ事になるのです。
オンリーワンの作り方
これだけでも ちゃんと生きていけそうですが、更に40代になった時、また別の分野でチャレンジする勇気があれば、100万分の1の人になれるという訳です。
ここまで来ると、もう いわゆる「オンリーワン」的な存在ですよね。
それも、いままでやってきた分野との関連性が低ければ低いほど、今度は「投資」が得られる可能性も高くなるそうです。
投資をする人というのは、リスクを取りに行く人に投資がしたいからです。
投資が得られたら、レバレッジを働かせる事も可能になるわけです。
逆に言うと、これからは一生ひとつの分野で一筋に行くというのは、競争に巻き込まれて辛い思いをする、という事だと思います。
40代や50代で違う分野に転向するのは勇気が要りそうですが、厳しい競争に揉まれてだんだん消耗してしまうよりも、早い段階でライバルが居ない所へ飛び込んだ方がリスクが少ないという話だと思います。
藤原さんがリクルートに入った頃というのは、あの会社もまだ駆け出しの状態でした。
これは私の想像ですが、藤原さんは常に「強いライバルが居ない」所に狙いを定めて行動してきた人なのではないでしょうか?
そして自分が得た教訓を、教育論に込めているのかもしれません。
「自分の歩いている道に誰も仲間が居なかったり、
ふと振り返っても人影が見えないと、人は不安になりがちですが、
競争に勝つという観点からすれば、仲間がいるようでは逆にダメなのです。」
という話が心に残りました。
確かに誰かが敷いてくれた道を歩いたり、
人が集まっている所へ行きたくなるのが人情ですが、
AI時代にはそういうメンタリティというのは不利なようです。