「仕事というのは苦しいものだ」という風に、周りの人に教えられていませんか?
そして仕事とは、まるで犯罪を犯して牢屋に入れられ、懲役を課されているようなものだと思っていませんか?
この記事では、仕事に対する自分の気持ちのニュートラルな捉え方について書いてみたいと思います。
「仕事が楽しい」は危険!?
まず1番最初に伝えておきたいのは「仕事が楽しい」と感じるときの危機感です。
意外に思うかもしれませんが、仕事が楽しいという状態も、実は正常な状態ではありません。
それは「趣味」になっている可能性があります。
一時的にはそれでも需要と供給の関係で機能する時期があるかもしれませんが、そのツケは必ずやってきます。
なぜなら、おそらく過剰サービスになっている可能性があるからです。
趣味のようになってしまうと、自分自身やっていて楽しいので「これもやろう」「あれもやろう」「もっとやろう」という風にクオリティを追求しすぎてしまいます。
でも、お客さん的には別にそこまでのクオリティを求めてはいなかったり、凝るべきポイントがズレていたりするのです。
気が付けば いつも採算を度外視して働いているので、どんどん暮らしが苦しくなっていきます。
仕事が苦しいのは何故?
楽しいだけでは生活が苦しくなる・・・。
じゃあ仕事って苦しいものなの?と言うと、それも違います。
もしあなたが仕事が苦しいと感じているとしたら、その仕事は完全に「作業」になってしまっているのです。
「あるのはただノルマのみ」こんな感じで仕事をしていたら、それはやっぱり「懲役」なのだと思います。
逆に趣味がなぜ楽しいのかと言うと「心」を使っているからです。
趣味に向っている時というのは、心で感じる事が中心です。
「面白さの追求」や「上達の喜び」などから、自然とエネルギーが湧いてきます。
おまけに、あまり「頭」は使いません。
だから趣味というのは、あまり疲れないのです。
逆に作業は「心」も使っていなければ「頭」も使っていません。
頭も使わないなら疲れないのでは?というと、今度は「退屈」がストレスになってしまうのです。
いい大人が同じ作業を毎日繰り返し続けるのを、面白いと思う筈がありませんよね。
作業するにも体力が必要だし、退屈からくる気力の消耗が重なって苦しくなるのです。
苦しくない働き方
仕事が楽しいのもダメ、苦しいのもダメとなると、仕事ってどういう状態がベストなのでしょうか?
仕事というのは「頭を使う事」が大前提になります。
そして頭を使うという事は、辛くもあり面白いものですよね。
仕事は、趣味のように心を使っていれば良いというものではありません。
ちゃんと人の役に立たなければ仕事になりませんし、利益を生み出さなければ継続は不可能ですよね。
そして単なる「作業」も仕事とは言えません。
どんな職種や業種であれ、仕事として取り組むからには調査・研究したり試行錯誤する事が必要になる筈です。
たとえ業務が作業系の仕事であっても、自分自身の手で本当の仕事の形に昇華させる事は可能だと思います。
世の中に「頭を使う仕事」と「頭を使わない仕事」があるのでは無く、あるのは仕事への取り組み方の違いだけです。
サラリーマンやフリーターの給与体系に慣れてしまうと、仕事というのは「時間の提供」に対価が支払われているのだと勘違いしがちだと思います。
ところが仕事というのは本来、頭を使って初めて仕事と呼べるものになるんです。
決して趣味のように楽しいものでは無いし、かといって懲役のように苦しいだけのものでもありません。
やっぱり頭を使うので、基本的にはしんどいのが仕事です。
でも何かを達成したり解決できた時や、誰かに喜んでもらった時の快感は、趣味の喜びを遥かに超えるものだと思います。