待望の一発
般若心経のようなお経も良いけど、日本古来の所々、なんとなく、わかったようなわからん響きも良い。
コメントを読んでいたら、「こういうの待ってたよ」というのがあって、ウケた。
同感、かっこいい!
チャネリングの話を聞いて、悟ったはなし
正直、チャネリングには、まったく興味がない。
もし自分が出来たところで、やらないと思う。
だって、問題解決の過程の楽しみやその果実を
よくわからない精霊と分かち合いたいとは思わないからだ。
分かち合う相手は生身の人間であって欲しい。
ところが、この話を聞いていて、
最近、自分の中でホールドしていた問題の答えを発見した。
問いというか、仮説なんだけど、
仏教用語の『三法印』の中に
『諸行無常』と『諸法無我』がある。
調べてみると・・・
『諸行無常』は、あらゆる物事は流転す・・・
って「だから何!そんなん当たり前じゃん!」と思ってしまうし、
『諸法無我』は、あらゆる物事には実体性がない、理由は『我』は幻だから・・・
なんて、「こじつけじゃん、一言もそんなこと書いてないじゃん」
と、全く納得が行かなかったのだ。
そこで般若心経について調べていた時に、
『無』と『空』の混同が激しかったことを思い出した。
中国を経由して日本に伝わったとき、
道教の影響で、『空→無』という変換が適当に起こったらしい。
で、ここからが私の仮説なんだけど、
『諸行空常』と『諸法空我』なんじゃないかと・・・
『諸行空常』については、すぐにあたりが付いた。
あらゆる物事には『空』ある。
『空』の概念にはついては、さっきの記事に詳しく書いた(つもり・・・)
で、次の『諸法空我』・・・これがわからなかった。
でも、この動画のおかげで気づいた。
瞑想のひとつの機能として、
自分の状態を『空』にする効果があるのだと気づいた。
闇があるから光を認識できる。
ごみ溜の中でワインのテイスティングができないように、
心がザワザワしている状態で、
世界の正しい認識は出来ない。
しかし、これは完全に理屈であって、
実際問題として、無雑念というのはかなり難しい。
なぜなら、人にはそれぞれ心の癖があるからだ。
ある人は、車の騒音は平気だけど、
小さい子供の鳴き声は我慢できないなど。
でも、その自分の心の癖をマッピングして、
現実世界との差分を取れば、
世界がありのままに見える。
つまり、『空=我』だということだ。
それが『諸法空我』だ。
そして、自分の心の癖をマッピングする行為、
それこそが『吾が心を知る』というこで
『悟り』ということなのだと。
修行は既に始まっている
確かに2年間で200万円って一見高そうだけど、
学校だと思っても、生活費だと思っても、1年100万円だからメチャクチャ安い。
これを高いって思う人はどうかしてると思う。
手取り月16万円で10年で1000万円貯めた人の話が驚いた。
毎年100万円、毎月10万円弱の貯金ということになるから、
毎月6万円くらいで生活していたことになる。
実家暮らしなら十分可能だけど、
世間には様々な誘惑があるから大変だ。
精神的にケチケチしないで、
賢くムダ遣いしないっていうのは、
それだけで素晴らしい修行だと思う。