幸せと成功の違いがもたらすもの
相談者の質問のような物事を二択でしか考えられない人って、『時と場合、条件による』ってだけの回答では混乱しがちになるけど、大愚和尚の話はわかりやすい。
仏教のゴールが『幸せ』なのに対して、自己啓発のゴールは『成功』だ。
自己啓発に夢中な人は、「いや、『成功』に中には当然、『幸せ』も含まれている」と主張するかもしれないし、
「『幸せ』の一つの要素の中に『成功』が含まれているのよ」と言うかもしれない。
相談者のように『どちらを優先すべきか?』と悩むのも、心理面とテクニカル面での混同が原因だろう。
心理面では『自分優先』だけど、行動は『他人優先』・・・みたいな。
自己啓発や新興宗教がこの『自分優先』と『他人優先』の二枚舌を使うのは当然だ。
徹底的に不足感や不公平感を煽って、『自分優先』だと耳元で囁やき、モチベーションが上昇した時期を見計らって、お金を要求する時は『他人優先』で行動させる。
成功を求める心の正体
仏教的には『幸福』と『成功』の概念が真っ向から対立するように見える。
その辺の話はスマナサーラ長老の話がわかりやすい。
『成功』を求める人は、現在、圧倒的な『不足感』に苛まれている。つまり『幸せ』ではない。
その心理的な埋め合わせを『成功』する事で、お金と称賛で埋めようとしている。
そして、恐らく、その行動が成就するのは難しいし、仮に成功したとしても、圧倒的な『不足感』を起点にしているせいで、さらなる『不足感』を増長させてしまう。
成功者とは、ある意味、心の病を抱えている。
ウォルマートの創業者は、家族旅行の最中でも、ライバル店の視察に行き、パクれるアイデアがないか探していた。
ビル・ゲイツは、毎朝、「今日も、自分の帝国を揺るがすかもしれない何かを小さな芽のうちに摘んでしまうぞ!」と意気揚々と目覚める。
巷では『さすが成功者は違う』と称賛するが、本当に自己啓発に励む人は、そういう人になりたいのだろうか?
ほとんどの成功者は、きっと幸せではない。
では、『幸せ』と『成功』を両立させる事は不可能なのだろうか?
つまり『幸せな成功者』は存在しないのだろうか?
恐らく存在はしているが、マスコミには登場しないだろう。
だって幸せの中には、『成功をしている事を他人に知られたくない』という要素が含まれているからだ。