生きていると、色んな悩み事が積み上がって来る事があります。
自分が好きになれない、人生をやり直したい、家族のこと、仕事が嫌だ……経済的に苦しい……友達が出来ない……恋愛が……子供が……。
それらの悩みが解決出来なくても、せめて相談に乗ってくれる相手が欲しい……。
とにかく、悩みの種には事欠かきません。
私達は、思春期を迎えて物心がついた頃からずっと、そのように悩み事を解決したい、解消したいと思って大人になって行きます。
『大人になる』とは、そんな悩み事を抱えたままの自分を許せるようになったり、さらには自分を好きになれるようになるまでのプロセスなのかもしれません。
つまり、あらゆる『悩み事』には共通点があり、『悩み事』と正しく付き合う事ができないと、自分や 自分を取り巻く環境が嫌いになり、それが元で不幸への扉が開いてしまいます。
『大人になる』とは、これら不幸への扉である『悩み事』に対して、正しく対処して、正しく付き合って行くコツを掴んで行く事なのです。
『えっ?悩み事と正しく付き合って行く?
解決したり、解消するの間違いじゃないの?』
と疑問に思う人がいるかもしれません。
間違いではありません。
何故なら、ありとあらゆる『悩み事』の元は、あなたが『より楽しく生きたい』と願う心の現れだからです。
だから、『悩み事』が辛すぎて『自殺』というのは大きな矛盾なのです。
繰り返しになりますが、この記事の大きなテーマの一つなので、もう一度書きます。
ありとあらゆる『悩み事』は、もとを正せば『より楽しく生きたい』と願う心の現れです。
生きている限り『より楽しく生きたい』と願う心がなくなると思えないし、悟りでも開かない限り、捨て去る事など出来ません。
つまり、あなたは 生ある限り『悩み事』から開放される事はないのです。
だから、これからも どんどん『悩み事』は現れるし、その事は決してネガティブな事などではなく、むしろ『より楽しく生きたい』と願うポジティブな現象なのです。
とはいえ、ありとあらゆる『悩み事』に対して正しく付き合うコツが必要です。
この記事では、そのコツをご紹介します。
目次
悩み事と考え事は、まったくの別物
ところで、そもそも『悩み事』って何なのか知っていますか?
なんだか当たり前過ぎて、何の話だか分からないかもしれませんね。
そのために、似た言葉として『考え事』というの取り上げます。
一般的に、この『考え事』と『悩み事』という言葉を、同じような文脈で使っている人が何と多い事でしょうか……
この混同が、ほとんどの人が、『悩み事』と正しく向き合えない最大の理由です。
だからまず、あなたは、自分の『悩み事』と対決する前に、『考え事』と『悩み事』の違いをハッキリと理解する必要があります。
日記を書く習慣でわかること
突然ですが、あなたは日記を書く習慣がありますか?
もしもないのなら、今からでも遅くはありません。ぜひ日記を書く事をオススメします。
中学生くらいからがベストだと思います。
あまりにも唐突で、何を言っているのか分からないかもしれませんが、この日記を書く習慣を持つと、これからお話する、『考え事』と『悩み事』の違いが体感として理解出来ると思います。どういう事かと言うと……
3年くらい前に書いていた日記の内容を、たまに読み返すと、とても自分が不憫に思えて、抱きしめたくなる事があります。
決してナルシストになるわけではなく、一人の人間が、一生懸命、精一杯に自分の人生と向き合っている姿に心打たれるのです。
「それなら、大々的に、感動話として、友達や家族に喧伝してみたら?」
と思うかもしれませんが、そのひたむきに向き合っている内容が、実に下らない……「本当にそんな事で悩んでいたの?」と知られると、恥ずかしくなる内容なのです。
それもあって自分が愛おしくなるのですが(笑)
でも、その下らない内容とは別に、日記を書く事によって思考が深まり、調査すべき内容が絞られて来て、日に日に解決して行く時期もあり、それらの事が今の自分を支えていると、素直に感心することもあります。
プログラミングに例えると・・・
プログラムの世界で使われているフローチャートってご存知でしょうか?
まさにあのイメージです。
次々と、次にやるべき処理に移って行き、時には条件分岐のように、「調べた結果が、もしこうならこうする。そうではなかったらああする……」といった具合に、どんどんと問題が解決して行くのです。
最初は漠然としていて捉えどころがなかった問題が、『何が問題なのか』が明確になって行き、自然と調査の過程で解決するといった具合です。
一方で、漠然とした問いから、一向に進展せず、ずっとグズグズしている状態が、さきほど紹介したナルシストになりかねない問題です。
もうおわかりですね?『悩み事』とは、ループ状態に入って、抜けられなくなった状態です。
一方、『考え事』とは、考えるべきポイントが、日々、絞り込まれて行っている状態です。
はたから見れば『悩み事』と大差なく見えてしまうのですが。
そして、両者の間に、時間的な違いというのはありません。
だから2、3日しか時間を取られていなくても『悩み事』ってあるし、10年以上かかってもまだ解決しない『考え事』というのもあるのです。
その違いは、解決に向かって、日々、絞り込みが進行しているか、ループしているかの違いです。
進行していれば、いつかは解決します。でもループしている問題は、何百年経とうが解決する事はないのです。
『悩み事』にはもう一つ、特徴があります。
『悩み事』には共通点がある
それは社会の『最大公約数的なものを求める』という特徴です。
自分が属している『社会で良しとされているもの』を求めるという事です。
つまり別の言い方をすると、『社会で良しとされているもの』を自分は持っていない。
この『ない』に意識がフォーカスするのが、『悩み事』の特徴です。
一方『考え事』は、社会とは関係なく、あくまでも自分事であり、自分が腑に落ちるか落ちないか、『解決策に落とし込む』一連の作業だと言えます。
ちょっと、分かり辛かったかもしれませんが、
『考え事』とは、あなたが納得できる解決策にカスタマイズするという事です。
日記を何年も継続して、わかること
日記を付けていて分かる事はそれだけではありません。
ではその『悩み事』が100年経っても解決しないのなら、永遠に日記の中に、その『悩み事』についての記述が登場し続けるのか?というと、そうではありません。
しばらくすると、その『悩み事』に関する記述がきれいさっぱり消えています。
だいたい短ければ3ヶ月程度、長くても1年くらいのものです。そのくらいの期間で登場しなくなります。
では、もしかすると、『悩み事』も解決する事があるのか?と思うかもしれませんが、そうではありません。
俗な言い方をすれば、『時が解消』したのです。
悩み事は、何ひとつ解決してはいません。
何かが出来るようになったわけでもなく、何か外部環境が変わったわけでもなく、悩みの種かが消えたわけでもないのに……
ただ、自分にとって、その『悩み事』が悩みではなくなったのです。
これは、恐らく日記をつけている人なら、誰でも気付いている事だと思います。
でも、意識しないと、気付きづらい事かもしれません。
もちろん、日記を付けていない人も、ただ忘れているだけで同じ事が起こっています。
では、どうして、それらの『悩み事』がなくなってしまうのでしょうか?
なぜなら、私達は長い間、悩み続けられるほどに、忍耐強くはないからです。
「悩み」が移り変わる
人は誰でもある程度の期間、悩み続けると、また別の悩みを抱える事になります。
つまり、まだ解決していないうちに、また新たな『より楽しく生きたい』がためのアイデア・考えが浮かび、それが新たな『悩み事』となって、あなたの心を占領するのです。
解決していない悩みの上に、新たな悩みが積み上がります。
そして、2段、3段と積み上がって行くのに対して、脳のメモリは少ないので、直近の『悩み事』で埋め尽くされてしまうのです。
または、その『悩み』を解決するために、何か行動するかもしれません。
思いを巡らせて、調べたり、人に相談したりして、新しい事を始めてみる。
そうすると、また新しい『悩み事』が生れます。
いつの間にかに、その前の『悩み事』は、消えてしまいますが、それは『悩み事』が解決したのではなく、保留にしたまま先に進んでいるという状態です。
つまり、『悩み事』は、まったく解決していないのです。
最初の試みをあきらめて、別の方向に可能性を求め、別の物が欲しくなるというだけです。
例えば、理系に進むという目標があったとします。でも、数学が苦手で、その事で散々悩んでいたとします。でも、そのうち諦めて文系に転向したら、今度は歴史などの暗記科目に興味が持てなくて悩み始めたり……
女性で一重まぶたで悩んでいたとします。でも、彼氏が出来たら、今度は彼氏の浮気で悩むといった具合です。
悩みの対象が別のものに移っています。
つまり、古い悩みが消えて、新しい悩みが生まれる。それを、永遠に続けているだけなのです。
これが、一般的に『悩みは解決されないが、時が解消してくれる』と言われていることで起きているメカニズムです。
ほとんどの人が、この『不足感』の対象が変化して行くだけです。
傍からは、『欲しいものが移り変わっているだけ』に見えることでしょう。
悩み事は、本質から目を逸らすための手段である
つまり、『悩み事』の本質は、『より楽しく生きたい』という『不足感』であり、裏を返すと『今楽しくない』という事なのです。
実のところ『今楽しくない』という感情である『不足感』、つまり何かが『ない』という感覚であり、それを補うために必要な手段として『悩み事』が生まれるのです。
少し例をあげましょう。
先程の一重まぶたで悩んでいた女性の場合、一重まぶたに限らず、女性も男性も様々な肉体的なコンプレックスがあると思いますが、その先にはある不足感の正体は、『運命の相手と出会って、好かれたい』ということではないでしょうか?
その不足感を埋めるための手段として、肉体的コンプレックスというものが存在しています。
だから、相手が見つかって、不足感がなくなってしまうと、そのコンプレックスは凍結されます。
解消されると言わなかったのは、破局を迎えた場合、またその手段が復活する場合が多いからです。
もう一つ、さっきの数学や歴史の成績が伸びなくて悩んでいる人の事を考えてみましょう。
数学が苦手だという理由で理系を諦めた人が、数学を受験しなくても入れる理系に進む、という手段もあるはずです。
ですが、常に手段を目的化するクセがついていると、本来の目的を変更する事で、違う『悩み事』を抱える事になるのです。
ファーストステップ
つまり、『悩み事』に正しく向き合うためのファーストステップは、『悩み事』で解決したい『本当の目的を知る』という事です。
ありとあらゆる『悩み事』は、あなたが本当に欲している『目的を得るための手段』だと理解することです。
しかも問題なのが、その目的を手に入れる手段の中で、最も遠い最悪手であると認識する事です。
なぜなら、あなたが本当に欲しい何かを得るために、『今あなたが持っていないもの』で補おうとしているからです。
お財布を持たずに、買い物に行くようなものです^^
セカンドステップ
少しかけ足になりますが、色々と考えて、あなたが『本当の目的』を知ったとしましょう。
そう仮定して、次のステップをご紹介したいと思います。
これも、次の事を理解することから始まります。
それは、あなたが本当に欲しいものを得るために最も有効な手段は、『今、あなたが持っているもの』と交換するという事です。
この二つのステップを経る事で、『悩み事』が『考え事』にステップアップします。
つまり『考え事』とは、ループしている『悩み事』を解きほぐして、次の処理に進展させて行く事です。
『考え事』とは、『今、あなたが持っているもの』を交換する事に考えを巡らせるという点で、『ある』という『満足感』を起点にしていると捉える事もできます。
まとめ
確かに、この『悩み事』から『考え事』に……『ない』から『ある』に転化する事って、簡単な事ではないのも事実です。
何故なら私達は、なかなか「今、自分が持っているもの」に気づけないからです。
「今、自分が持っているもの」って、自分にとって当たり前過ぎるのです。
たいていの人が、「自分が持っているものと交換だって?自分は何一つ交換に値するものなんて持っていないよ」と、思ってしまいます。
でも、ここが最大の誤解なのですが、実は『持っているもの=誇れるもの』ではないのです。
これが、ほとんどの人が、『悩み事』を『考え事』に昇華させる事ができない本当の理由だといえます。
実は、たいていの場合、『持っているもの=あなたが欠点だと思っているもの』なのです。
これを本当の意味で理解するのって、やっぱり難しいと思います。
『誇れるものがない』と思っている人にだって、『欠点だと思っているもの』なら、いくらでも持っているんです。
でも、普段、自分でも気にしないようにしている事だし、指摘して来る人も少ないでしょう。
『ない』ではなく『ある』から始めよう!という事の本質は、あなたが持っている『欠点だと思っているもの』から始めようという意味なのです。
本当の意味で『悩み事』が解決したり解消できる人が少ない理由は、自分が『欠点だと思っているもの』を直視しようとしないからなのです。
本当の欠点は、あなたが悩んでいる表面的な劣等感などではありません。
もっと別のところにあるのです。それを見ようとしないために、わかり易い表面的な『悩み事』に焦点をあて続ける事で逃げているのです。
もし、あなたが『自分が本当に求めている目的』を知る事が出来て、自分が『欠点だと思っているもの』と向き合う覚悟が出来たら、自然と正しい『考え事』の仕方にも興味が沸いて来ることでしょう。
今度は、正しい『考え事』の方法……つまり『思考法』についても書いてみたいと思います。